単純な場所

sophisticated girl; plain space

ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総進撃

ゴジラに入れ込んでいる息子とハム太郎目当ての娘を連れて、電車で松本へ。松本城近くの映画館で二本立てを観る。ハム太郎についての論評は控えるとして、金子修介がメガホンをとった『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総進撃』については、ちょっと長くなる。

ゴジラに悪役をやらせたかったと、どうやらこだわりがあったようなのである。その気持ちも判らないでもない。しかし、そこで持ち出してきたのが護国三聖獣である。ヤマト聖獣である。宇宙怪獣キングギドラがである。ゴジラは戦争犠牲者の怨念であり、日本を襲撃するのはそれが理由だというのである。センスがない。カメが火を噴いて空を飛ぶのではシリアスは苦しいと、いやはや、そういっていた人間がである。

油凪の海面に浮かぶCGの護衛艦が出てきたところで、特撮は諦めた。渋谷を壊滅させる度量などもとよりない、昼間の清水市なら、まあ、いつもの通り適当に壊しとけと、実に稚拙な表現を繰り返す、その性根が透けて腹が立つ。物語のクライマックスでは宇崎竜童演じる准将が自ら現場に赴くのだが、彼は指揮権を掌握していたはずなのである。何でお父さんが、准将なのにと、新山千春演じる娘はいう。正論である。他の誰かならよかったかと、この准将はいうのだが、いやもう何だかなと。

奇妙な情念が存在するのは認めるにせよ、欠けているのは詩情である。道理もない。金子修介による、伊藤和典の出来の悪いエピゴーネンであり、このゴジラがまたしても駄作であった理由は、樋口真嗣を欠いていたことばかりではない。

Published on: 2002/1/19

Categories: 映画