単純な場所

sophisticated girl; plain space

ゼブラーマン

『ゼブラーマン』を観る。宮藤官九郎の脚本を三池崇史が監督するという時点で予想された世界において物語は展開する。ファンタジーにはその階梯に応じた抽象度が必要であるという了解があるとして、その世界では抽象は主にチープによって代替されて気恥ずかしげにもみえる。脚本はといえば、ダイアログも凡庸であって冴えているようではない。何よりクライマックスが『木更津キャッツアイ』と同じとあっては、おいおいという感じにもなるというものである。

Published on: 2004/11/29

Categories: 映画