カポーティ
『カポーティ』を観る。フィリップ・シーモア・ホフマンのカポーティはさすがにそれなりの奥行きがあったけれど、カポーティその人に関心が絞られた結果、ハーパー・リーやペリー・スミスとの関係は物語の背景へと後退して立ち上がってこない。メモを取らない取材スタイルが、取材対象との関係性という文脈ではなく、単にカポーティの記憶力の誇示というコンテキストで語られるというのはいささかやり過ぎというような気もするし、最後の『叶えられた祈り』の引用にしてからが、確信犯的に誤った解釈へと誘導していて、これもいかがなものか。カポーティの自己愛に焦点をあててきっちりとした結構をつくっている脚本の完成度はある意味、高いのかもしれないが、そこにこそカポーティ的なエゴがあるのだと制作サイドは気づいているのか。
Published on: 2007/3/28
Categories: 映画