職業倫理というもの
電力会社に勤めていた父の友人は、災害のときにこそ家を空けなければならない職業であるということから、鉄筋コンクリート建ての頑丈な家屋がまだ一般的でなかった当時、そうした家を建てたという。このエピソードを追悼文として読んだのは小学生のころで、父の友人と父の、不器用というしかない愛情の視座が深く心に残ったものである。
電力、水道、鉄道、消防、警察あるいは自衛隊などの社会インフラの維持に関わる職業に就かれている人々には、おそらくそのことだけで敬意が払われなければならない。
有事の時にその真価を発揮することが強く求められるからこそ、あらかじめ敬意が表されていなければならない。場合により、事後がないからこそ、予期的に感謝しなければならないのである。
実際には、特に最近の社会の風潮が、そうしたコンセンサスを共有していたとは思えない。将来に表すべき感謝の総体を、現在価値に割り引いて考えることが、私たちはひどく苦手なようである。
職業倫理とそれに対する敬意というものは、それをシンプルに解決する仕組みであって、古来の知恵の深さには常に感服せざるを得ない。
Published on: 2011/3/17
Categories: 日々