プライベート・ライアン(反芻)
しかしながら無意味な大量死の中にあって、ヒーローにのみ数十年の時を経て成就されるいわば特権的な死が用意されているとするならば、何だ、死すら、あるいは汚辱に塗れた生でさえ、そのための小道具かと、己が内なる戦後民主主義が囁かないこともない。
作中、狙撃手の描かれ方からだろう、佐藤亜紀の小説『戦争の法』を思い出したが、少なくともそこでは幻聴を気にすることなどなかった。死を、もっと無意味な死を、というその声を。
Published on: 1999/7/3
Categories: 映画