パッケージ
坊主の誕生日に松本のトイザらスまで遠征。かねて所望のクウガ変身ベルトを着用し、妙に逞しくみえるのは何故か。
オリンピックがいつの間にか閉幕。そも、思いがけず始まっていたことにも戸惑ったが、これもオーストラリア流というべきか。何をもって成功とするか、事前に定義することから始める米国流とは、徹頭徹尾、方法が異なる。
テレビで『トゥルーライズ』をやっていて、アーノルド・シュワルツネッガーはこれと初代『ターミネーター』だけでよいと考えている身としてはチラチラと美味しいところだけを観る。金がかかっているだけあって貧乏くさい部分が片鱗もないのは見事だが、軽々しく核兵器を爆発させてしまう思想に己が内なる戦後民主主義はついていくことが出来ぬ。結局のところ小道具として使われている気配があって、アラブ人の扱いとあわせ、小声でアメ公めと呟いてみたり。
昨日、観た『偽造』は、そのパッケージに爆発四散する凱旋門が描かれているのだが、物語の舞台がパリであるにせよ、せいぜい数発の弾丸が飛び交う程度で、まぁ、近年、稀に見るイカサマぶりといってよい。いやはや。
Published on: 2000/10/1
Categories: 日々