単純な場所

sophisticated girl; plain space

新年

あけましておめでとうございます。

とある事情から、ほとんど興味のなかったK-1を見て、挙句、みようと思っていた紅白のトリ(だって「世界で一つだけの花」好きだからね)を見逃して、何となく床に入った大晦日、曙というひとの個人的な事情まで見世物にした挙句、その無様を全国ネットで放映してみせた制作サイドの舌なめずりの音さえ聞いたような気がして寝付かれない。思えば小柳ゆきだのマイク・タイソンだの、果てはスティービー・ワンダーだのが出てきた時点で嫌な予感はしていたのだ。いや、それはいい。

括弧つきの、いわゆる「格闘技」の本質がショウであるならば、そもそも本人にしてからが漠然と思い描いていたに違いない結末、無残な倒れ方の有り様はあまりにも苦すぎた。WCWなら同じ時間で3通りの決め技を披露してみせたに違いない試合の内容自体、経験不足というならばその通り、だがしかし闘犬を檻に入れるのはいつだってプロモーターなのだ。端的に言えばイジメの現場を目撃したような気分になったものである。

ショウを本来の虚構として取り戻すためには、曙その人が「プロの格闘家」として踊り続けていくことがまず不可欠であって、それはそれで切ない話と思えど、それでもショウは続いていく。

Published on: 2004/1/1

Categories: 日々