2012
『2012』を観る。奇しくも1月2日である。特に意味はなし。いきなり『デイ・アフター・トゥモロー』風に始まったなと思ったら、結末に至ってはほぼ同じ処理を踏襲しており、中途においても演出の方法は常套のそれを逸脱することがないので、何だか全体に既視感を拭えない。ローランド・エメリッヒの関心は主として崩壊の予兆と崩壊そのものの映像化に向いているのであろうが、であれば脚本には関わらないほうがよかったのではないかという気がしてならない。全体にあんまりな筋書きである。いろいろ壊すということでは、マイケル・ベイも同類といえようが、その規模においてあの若造を軽く凌駕しているので、ある種の諦観が先に立って、やり過ぎという感想すら出てこない。だがしかし、この諦観が人類の末路に関するものなのか、グダグダのドラマ性に関するものなのか、俄には切り分けられないのが人間心理の不思議であり、いくらスペクタクルとして優れているとはいえ、やはりバランスというものが大事ではないかと思うのである。
Published on: 2010/1/2
Categories: 映画