夢オチ
昨日からの流れで、いわゆる「夢オチ」のことについて考えざるを得ないという気分になっているのだけれど、そうした展開が忌避されるのは結局のところ世界は他者のとの関係においてのみ実在するという、世界構築の実感を否定してしまうところにあるのではなかろうか。これまでの話はなんだったんだという徒労感以上に、実存の感じ方にそぐわない展開が心の底からコレジャナイ感じを呼び起こすので、そこにあるのはほとんど本能的な拒絶なのではないかと思うのである。
トランプ前夜。これが2度目である以上は社会の適応も凄まじくスピーディで、とくに大企業と富裕層の迎合ぶりは見るに耐えない醜さを呈しており、DAY100までに前回の比でない変化がもたらされるに違いないが、その距離はまだ知ることができない時点にある。
Published on: 2025/1/19
Categories: 日々